大名物を見て
一
去る昭和廿二年五月三日、日本陶磁協会の主催で、帝室博物館内の応挙館
で、雲州不昧公所持の大名物六点、中興名物一点、〆七個の茶器が公開せら
れた。雨のそぼ降る日であったため、残念にも室がいたく暗かったのと、集
まった人々でろくに席もない有様であったから、心ゆくばかり親しむという
わけにゆかなかった。それに人々のざわめく声や、茶に沈んだ見方などにも
煩いされて、鑑賞にはよい機会だとは云えなかった。
併し主催者には感謝してよい。何しろ不昧公在世の頃にはめったに他人に
見せぬ茶器であった。こういう催しでもなくば、一般の人々は一生眼福に恵
まれぬであろう。それも名器を七個も一時に見ることが出来、又手に取って
親しく眺め得たのであるから、又とないよい機会であった。同好の人々が遠
近から馳せ参じたもの当然である。僅か一日だけの会であったが、大切な器
物のこと故、それは止むを得まい。こういう品々が一日でも公開されたのは
稀有なことに属する。これも時代のお蔭なのかもしれぬ。山門不出のものが、
旧習を破って公開されるということは、それ自体有難い出来事だと思う。
もとより茶器をこういう形で人々に見せるということに、異義を申立てる
人もあろう。当日の堀口捨己氏の講演にも、そういう口吻があった。「果し
て大名物の如き茶器を、一度に沢山こんな風に人々に見せるのを、不昧公は
悦ばれるであろうか」。一応はそう誰でも疑うであろう。これにも一理ある
と私は思う。始めにも書いたように、その日の状態は混雑した殺風景な有様
であった。そうなるより仕方がなかったとしても、静かな茶室などで用いら
れる時とは全く縁もない有様であった。
併しむやみに大切に秘蔵するのと、あっさり公開するのと、どちらに功徳
が多いであろうか。秘蔵するのもよい点が重々ある。第一器物を大切に扱う
という習慣は、どこまでも尊ばれてよい。神聖視するまでに至っては、度を
越えているかもしれぬが、併しそれまでに美しさを敬うのは、それ自身人間
のもつ美しい情趣だとも云えよう。めったに人に見せぬほど大切に取扱った
ればこそ、今日まで無事に永らえたのだとも云えよう。器物を包む幾枚かの
仕覆や、それを仕舞う幾個かの箱や、更にこれを運ぶ笈櫃まで添えてあるの
を見ると、如何に大事に取扱われたかが、うたたしのばれるのである。恐ら
く日本だけに見られる心やりではないであろうか。
併し茶器を秘蔵するのは決して功徳ばかりではない。幾多の罪過だとてつ
きまとうのである。弊害がいつも後を追ったのを匿すわけにゆかぬ。秘蔵は
要するに私蔵することであり、これが高じると死蔵に終わって了う。多くは
小さな利己心にもとづくのであって、品物が却って私を他から差別する仲立
になる。真に美しいものなら自分独りだけが悦ぶよりも、出来るだけ悦びを
他人と共に分つ方がよい。その方が気持としても明るいではないか。
名器はめったに人に見せるべきものではないと主張する人もある。貴重な
ものであるから、不断人々に見せるような粗末な扱い方をすべきではないと
される。これにも一理はある。縁もない者に、みだりに見せたとて意味はな
い。併し逆に佳いものであればあるほど、大勢の者に見せたいではないか。
その佳さに少しでも触れてもらいたいではないか。そう考える方が更に一理
も二理もありはしまいか。
度々人に見せては、見慣れたものとなるから、客もそれで充分もてなすこ
とが出来ぬ。めったに用いないものを用いてこそ、客を手厚く遇する所以だ
と云われる。誠にそうに違いない。併しかかる恵みを受けるのは、ごく少数
の客だけで、これでは愈々名器と社会との交渉は薄くなる。それ故一種の貴
族的な悦びに落ちて了う。それも強ち悪いとは云えぬが、それを人間が持つ
最高の悦びだと考えてよいのであろうか。もっと気安く多くの人々と悦びを
分ち合う道が見出せるなら、その方がずっと本筋であろう。名器が出てそれ
を秘蔵するに至って、「茶」は段々と高踏的な少数的なものになった。その
ために特殊な狭隘な世界に「茶」を沈める弊をかもした。かかる不自由さを
破って「茶」をもっと広々とした明るい道に高めることは出来ないものか。
多くの者の日々の生活に「茶」を親しましめるほどに、道を行き渡らしめる
ことに「茶」の新たな使命がありはしまいか。
七個の名器を前に見て、やはりこれを公開することは、秘蔵するとは別の、
よい社会的意味があったと思う。それ故この会を見て、不昧公は悲しむであ
ろうと考えるのは当たらぬであろう。同公の時代と今の時代とは違う。不昧
公が若し民主時代の今日におられたとするなら、進んで今度のように公開す
ることに、新たな悦びを持たれたに違いない。同公が以前のように名君であ
る限りは。
もとよりこういう器物は、只見るよりも、実際に用いる時の方が、美しさ
が一段と光るに違いない。よく用いられる時、器は始めて器たり得るのだと
も云える。併しよくよく顧みる要があろう。誰も正しく用い得るとは云えな
いのである。よき用い手は、めったにいないのである。茶人なら誰でも使え
ると考えるのは浅はかである。器物が立派なら尚さらであろう。「大名物」
を使い切る茶人が今果たして幾人いるであろうか。使い方が正しくなくば名
器も死ぬであろう。だから「こういう名器は只見るべきものではない」など
と、めったに言えた義理ではない。「ではどんな使い方をするのか」と問わ
れたら、誰が充分に答え得るであろう。私は「茶」に呼ばれて、いやらしい
使い方をするのにしばしば出会うので閉口する。特に茶人ぶる人にこの弊が
多い。使い方に巧者な人、必ずしも使いこなしている人ではない。使い方に
わざとらしさが残ったり、きざだったり、大げさだったり、派手だったりす
る例は余りにも多い。坦々とした自在な自然な使い方はめったにないもので
ある。それというのも「茶」を余りにも仰々しいものにして、日々の暮しと
は何のゆかりもないものになった弊なのである。「茶」でどんなに不自由に
なった人が多いであろう。「茶」は必然に型を生むが、今の「茶」は型で
「茶」を点てようとする。だから形に死んで了うのである。型に滞る「茶」
は「茶」とは云えぬ。(堀口氏は今活きている金持の某氏を大茶人と呼んで
いたので、私にはおかしかった。又その人の「茶」を如何にも大したものの
ように云うので、同氏ともあろう批評家がと思った。)
金持の「茶」は真の「茶」には中々なれぬ。金力に囚われた「茶」ではこ
まる。貧の「茶」、素裸の「茶」が欲しい。何れにしても一度在来の「茶」
をひっくり返さぬと、活きた「茶」は現れてこない。「生れ変わらずば天国
には行けぬ」と聖者はいうが、今の「茶」を見て、うたた同感である。「茶」
をもう一度自由にしたい。金力からの解放、約束からの解放、因襲からの解
放、茶銘からの解放、道具からの解放、茶室からの解放、そうして家元から
の解放、道具商からの解放。囚われた今の「茶」から真実の「茶」を望むこ
とはむづかしい。初期の自由をもう一度取戻さずして、「茶」の歴史を深め
ることは出来ぬ。
二
さて、七個の茶器のうち、唐物の茶入が三つ、(油屋肩衝、本能寺文琳、
残月肩衝)、和物が一つ(鎗鞘肩衝)、茶碗では唐物が一つ(油滴天目)、
高麗が一つ(細川井戸)、和物が一つ(冬木伯庵)。名器とよばれるものだ
けあって、とりどりに美しく味の豊かなものであった。これ等の器物を通し
て、初期の茶人達がどんなものを悦んだかがよく分かる。
大体、それ等の人々の好みなり、性格なり又は眼の鋭さなりを今日の吾々
が知るには、彼等が愛用した品々を通して見るのが何よりだと思う。文献的
な記述も大切ではあるが、どこか間接で抽象的で便りないところがある。こ
れに比べると品物は現実で直接で、こちらに見ぬく眼さえあれば、それを通
して初期の茶人達の見方や、又彼等の「茶」の性格を見届けることが出来よ
う。そのためにも一堂に一時に七個の名器を手にとって見得たことは誠に恵
みであった。
どれもこれも中々景色のあるもので、或は油滴だとか、或は耀変だとか、
或は「かいらぎ」だとか、一見して眼にとまるものから、所謂「見処」と呼
ぶ幾つかの風情に至るまで、誠に古人が熱愛した所以が分かる。焼物として
は小品に過ぎなくはあるが、眼を楽しましめ、心に和ぎを贈るには充分であ
る。これ等を茶器に取立てて愛玩したのは無理はない。
それ故仮に有名な茶人達が愛蔵したものでなかったとしても、物として味
わうべき品々であることは誰が見ても明らかである。それを尊ぶ心に別に間
違いはない。併しこういう品を見る時、二、三のことを充分に反省する要が
ある。只むやみに「結構なもの」で終わってはならない。一時にこんなに沢
山名器を見るのは、勿体ないと思うのは、ゆかしい気持とも云えようが、何
かそれ以外に、結構が見えなくなってはこまる。
第一に唐物にしろ高麗ものにせよ、列べられたものは悉く、元来は雑器な
のである。「細川井戸」「油屋肩衝」などはその典型的なもので、何れも風
雅な茶器をねらって作ったものでなく、皆生粋の民窯なのである。謂わば
ゲテモノ
「下手物」であって、当時そういう雑器は沢山作られたのである。中から釉
工合や形などの調子のよいものを選び出したのかもしれぬが、併しその美し
さは何れも個人が意識的に画策したものではなく、寧ろ手荒い自然な作り方
や焼き方から生まれた余徳なのである。民窯であってこそ現れる美しさであっ
ゲボン
て、何か特別な品物のように思い込むなら間違いである。そういう下品の民
器に並々ならぬ美しさを見ぬいたことこそ、初期の茶人達の力量であったと
云ってよい。
ジョウテモノ
油滴天目の如き、一見すると如何にも上手物の手本のように思われるが、
元来この種の茶碗は、本国では多くどぶろく呑に用いられるものの由で、当
時沢山出来たものであろう。あんな見事な油滴はめったにあるものではない
と思い込む人もあろうが、先年私は北京の市日に、博山窯の近頃の天目茶碗
を安く沢山売っているのを見たが、中に目の覚めるほど油滴がくっきりと出
た茶碗が五、六点もあって見とれるほどであった。知らなかったら宋窯とで
も思うであろうし、ずるい道具屋だったら早速箱に納めて勿体をつけて売る
であろう。買い手の方も大した掘出物と思い込んで購うであろう。
或る人はこう主張する。仮令それ等のものが雑器であろうとも、中から極
めて稀な美しさを有つもののみを選び出したのであって、二つとない品なの
だということに変わりはない。それ故ざらにある器物ではなく、めったに見
出せないものなのである。否、二つとはない結構な品なればこそ茶器に選ば
れたのである。そこらにある雑器と同列に置くべきものではないのだと。
併しこういう考え方は現在の結果から見て、そうきめこんでいるに過ぎな
い。第一ごく安ものの雑器であったという過去の事実は動かすわけにゆかな
い。第二にその味わいは、雑器であるという事実からのみ生まれて来るのだ
ということを忘れている。決して人為的に画策された美しさではない。第三
に選ぶということが可能なのは、沢山出来る品であってこそ選べるのである。
始めから僅かより出来ないものとは違う。第四に稀だと考えるのは、日本に
渡ったものの数が少ないからで、窯元で選んだとするなら、同じ程度のもの
は一つや二つではあるまい。「井戸」茶碗のような品は、恐らくあの程度が
当り前で、とりどりに美しさがあったであろう。いやな「井戸」などはなかっ
たと思われる。「かいらぎ」などやかましく云うが、「かいらぎ」のない
「井戸」の方が却って珍しいであろう。「かいらぎ」など「井戸」にとって
は平凡極まりないことなのである。そうしてこの平凡さこそ、その美しさを
保障する重大な原因なのである。
ともかくそれ等のものを名器と讃えるのはよいが、なぜ名器となったかの
理由は、始めから名器として作るような品物ではなかったという事実に由来
するのである。このことを知ってくれる人が実に少ない。
ともかくそれ等の大名物は、実に何でもない品物なのだということを語っ
てくれる。「何でもないもの」という言葉は誤解を招くかもしれぬが、「当
り前なもの」と言い直してもよい。只平凡だというのではなく、禅僧などが
説く「平常」とか「無事」とかの意にこれを解したい。真宗の妙好人が、心
境を尋ねられた時、「何ともない」と答えたというが、味わいの深い言葉で
はないか。人々はそれ等の名器に何か大した並々ならぬけはいを感じるが、
その大したものが、ごく当り前な素直な尋常な境地から生まれているのだと
見てくれる人は少ない。今は「大名物」などと呼ぶために何か異常なものを
連想するが、実は平々坦々たるものなのである。名器などにこだわって出来
たものではない。それだからこそ、その美しさが約束せられたものだと考え
てもらえまいか。その作者達に、今は「大名物」と人々が崇めていとも大切
に取扱っているのだと聞かせたら、恐らく合点がゆかぬであろう。それほど
造作なく作ったものなのである。それ故尽きぬ味わいが出てくるのである。
こう説明して充分筋が通るではないか。
ここで大切な一つの真理に導かれてくる。同じような環境から生まれた、
又生まれつつある民器は、他にも沢山あるのである。それ故その中から選び
出せば、大名物格の名器を取出すことは、そんなに困難なことではない。不
昧公遺愛の品に随喜するのはよいが、名器もそれ等の僅かなものに限られて
いるわけではなく、幸いにもそれに匹敵する格の焼物はこの世にまだまだ沢
山潜んでいるのである。私は何故今の茶人達が、それを選び出す自由と独創
とを有たないのか不思議でならぬ。初期の茶人達は、雑器の中から自由に好
むままに名器を選び出したではないか。どうしてその自由の衣鉢を継ぐ者が
出ないのであろうか。なるほど或る一定の寸法の、一定の約束の器物でなけ
れば茶器にならぬというなら、並べられた「大名物」に比べ得るものを、す
ぐ他から集めてくることはむづかしいかもしれぬ。併し「茶」をそういう動
きのとれぬ規約の中に閉じ込めて了うのは、茶人として一見識の持ち合わせ
がない証拠である。「茶」にも絶えざる発展があり創造があるべきである。
新しい茶器は生まれてこなければならぬ。それなくして何の「茶」の生命が
あろうか。おまけに抹茶道のみに茶道があるわけではない。番茶道だとてあっ
てよい筈である。新しい器物は選ぶ者を心待ちしているのである。
こういう品は「茶」には使えぬという人がよくあるが、使えぬということ
には二つの場合がある。実際俗で醜くて使えぬ場合と、今までの習慣による
寸法や約束に合わぬので使えぬという場合とがあろう。前者は別に問題を残
さないが、後者はもっと反省する必要がある。一寸考えると筋の通った理窟
のようにも思われるが、併し使えぬという批評は、在来の型を不動なものと
考えるところに由来する。それ故これは「茶」を創造的なものとなし得ない
者の嘆きとも云える。美しいものなら何なりと自由に使いこなすだけの力量
がない証拠だとも云える。「茶」は須らく前進すべきであって、一個所に止
まるべきものではない。茶室にも発展がなければならない。それにつれて器
物の寸法だとて形態だとて変化があってよい。もう進む余地がないと思うの
は創作力の無い者の考えに過ぎない。初期の茶人達はその創造に於いてこそ
優れていたのである。この世には取入れてよい又活かしてよい新しい茶器は
無数にあるのである。「大名物」は、元は決して茶器ではなかったことを心
に銘記してよい。「使えない」という批評は、大概の場合、使う資格のない
者の無力な而も高慢な態度に過ぎない。
それ故、七個の名器の前で随喜している人々を見て、私はなぜそんなもの
のみに、むやみに有難さを感じるのか不思議に思われた。恐らく大部分の人
は、それが若し「大名物」と銘打たれていなかったら、見向きもしないので
はあるまいか。実際この世には由緒も何もないもので、「大名物」に匹敵出
来る美しい品が、まだ色々とあるのである。初期の茶人達が見た品物の数や
種は知れたものである。昔は今ほどに沢山なものを見る機会はなかったので
ある。私はそれ等の「大名物」を尊ぶことに不服はないが、同時に他のもの
を深く見ないその眼を疑わないわけにゆかぬ。「大名物」だから尊いという
だけではおかしい。若しそれを真に尊く思う眼や心を持っているなら、他の
民窯にも尊いものを見出してよい筈である。眼が忙しいばかりに働く筈であ
る。
私は「油屋肩衝」を見て、その釉薬の変化から来る景色に見入ったが、併
しこれ位の釉味なら、実は他にもしばしば見かけるものだとつくづく思った。
苗代川の「黒もん」でも探せば、きっと一つや二つは見つかるのである。民
芸館はよい実例を沢山持っている。だが集まった人々でこの事実を認めてい
る人が何人いたであろうか。そういう人が乏しいばかりに、茶器は足ぶみを
しているのである。
なるほど「大名物」というような茶器は来歴があって、代々優れた茶人達
が熱愛したと思うと、物とは別にその由緒を悦ぶというようなこともあろう。
実は多くの見手を観察すると物そのものは見る眼がなくて、その由緒を有難
がって、それを通して結構だ結構だと云っている人の方が多い。それだから
他にどんな優れたものが沢山あろうが、風馬牛なのである。全く来歴がない
からである。由緒を味わうという心にも何かゆかしい点がある。それは連想
を伴うから情緒が豊かにされる。器物を、それを愛した人を通して見るとい
うことにも意味がある。併し由緒を主にすると、物を見る方はとかくおろそ
かになる。少なくとも由緒を通さないと、物を見ない習慣に落ちて了う。落
款とか箱書とかを何より有難がるのも同じ心理で、そのことが何も悪いわけ
ではないが、それ等のものがないと物を見るのに不安になるようではなさけ
ない。偉大な茶人達は、そんなものに便って茶器を集め用い愛したのではな
い。物そのものをぢかに見ていたのである。もっと権威を持って素裸のまま
に茶器に取立てたのである。来歴があるから尊んだのではない。物に由緒が
加われば尚よいかも知れぬが、どこまでも物が主で、由緒は伴奏であってよ
い。それが逆になると、由緒がないと物が見えないまでに立ち至って了う。
実は美しさをぢかに見ないで、「大名物」だから名器だ名器だと言っている
人が、どんなに多いことか。今の茶人達が無銘品から自由に優れた茶器を選
び得ないのは、余りにも「由緒の茶」に沈んで了った結果なのだと思われる。
「大名物」に元来何の由緒があろうか。若しぢかに見る茶人が出たら、茶祖
の如き偉業を果たすであろうに。
私は予々見たいと思っていた数々の「大名物」を目前に見て、心に何とな
く気安さを覚えた。若し不昧公や更に溯って多くの名だたる茶人達の選んだ
品物が、私の選ぶものより、かけ離れて美しいなら、私も帽子を脱ぐであろ
うが、さしたることもないことが分かった。結局当り前に選んであるという
に過ぎない。何も大変な集め方をしているというのではない。(尤も今では
当り前に選ぶということが既に大変な選び方になっているのかもしれぬ)。
若しそれ等の「大名物」が美しいなら、私は充分に民芸館の蔵する幾多の品
を「新大名物」と讃えて差支えないと思った。私達はそこからそう困難なく
名器図譜を編むことが出来よう。若し不昧公が甦って館を訪れたとしたら、
瞠目して動けないのではあるまいか。彼はそれぐらいの自由な眼の持主であっ
たに違いないと私は想う。
(打ち込み人 K.TANT)
【所載:『工芸』 118号 昭和22年】
(出典:新装・柳宗悦選集 第6巻『茶と美』春秋社 初版1972年)
(EOF)
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